大判例

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最高裁判所第二小法廷 昭和58年(あ)285号 決定 1986年12月11日

本籍

東京都町田市森野一丁目一二九一番地

住居

同町田市森野一丁目二六番六号

会社役員兼不動産業

中村忠

大正八年一一月一五日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五八年一月二六日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立があったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人大山忠市、同佐野榮三郎の上告趣意第一点、同大山皓史の上告趣意第一について

所論は違憲(三一条、三九条、八四条の各違反)をいうが、その実質は所得税法二三八条一項(昭和五六年法律第五四号による改正前のもの)の解釈適用を争う、単なる法令違反の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

弁護人大山忠市、同佐野榮三郎の上告趣意第二点について

所論は事実誤認の主張であって適法な上告理由に当たらない。

弁護人大山皓史の上告趣意第二について

所論は判例違反をいうが、所論引用の判例(最高裁昭和四七年(あ)第一三四四号同四九年九月二〇日第二小法廷判決・刑集二八巻六号二九一頁)は、事案を異にし本件に適切でないから、右判例違反の所論は前提を欠き、適法な上告理由に当たらない。

よって、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 香川保一 裁判官 牧圭次 裁判官 島谷六郎 裁判官 藤島昭 裁判官 林藤之輔)

○ 上告趣意書

被告人 中村忠

右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は、次のとおりである。

昭和五八年四月一三日

弁護士 大山忠市

同 佐野榮三郎

最高裁判所第二小法廷 御中

第一点

原判決は憲法第三一条、同三九条、同八四条の違反(憲法の解釈に誤り)があり、原判央は破棄されなければならない。

一 原判決の判示

原判決は弁護人の「所得税法二三八条一項の規定は、偽りその他不正の行為により正当に納付すべき所得税の額につき所得税を免れたときに処罰するという趣旨のものであって、その正当に納付すべき税額とは、法律の定めがなければ租税を謀されないという実体的要請と租税を課すためには法律の定める手続によらなければならないという手続的要請とに則り、税法の定める所定の確定手続を経て計算された税額をいい、そのいずれかの要請に違反して計算された税額は正当税碩とはいえないところ、被告人は、青色申告の承認を受けていたので、昭和四二年分の所得税につき、青色の確定申告書を提出したのに対し、八王子税務署長は、青色申告の承認を取り消すとともに、右申告所得額を更正したが、右青色申告承認の取消処分及び右更正処分はいずれも後に国税不服審判所長の裁決により取り消されたので、被告人の昭和四二年分の申告所得税額を更正するには所得税法一五五条所定の手続を要するのに、その更正がなされていない以上、同年分の所得税額は申告税額のとおりに確定したものというべく、したがって、被告人は、昭和四二年分の所得税を免れていないことになるから、所得税法二三八条一項前段の規定により処罰されるいわれがないにもかかわらず、同条項を適用して被告人を有罪とした原判決には、法令の解釈、適用を誤った違法があり、その違法が判決に影響を及ぼすことが明らかである」との主張に対し、被告人の昭和四二年分の所得税額が被告人の申告税額のとおり確定した事実を認定したうえで、「一般に国税は、税法の規定する課税要件を充足することにより、国と納税義務者との間で、法律上当然に、抽象的租税債権(正当税額)として成立し、これが賦課、徴収の対象となるのであるが、これを納付、徴収するためには、右租税債権の成立と同時に特別の手続を要しないで納付すべき税額が確定する国税を除いては、国税通則法等国税に関する法律の定める手続により、これを具体的租税債権(確定税額)として確定する必要がある(国税通則法一五条)。しかし、税法の定める確定申告、更正、決定等の確定手続制度そのものは徴税行政上の手段として設けられたものであって、これが租税債権成立のための必要不可欠のものでないばかりか、確定手続を離れて課税要件を認定することは勿論、不正の手段等により抽象的租税債権を侵害することも十分可能であるから、税の確定手続を経なければ逋脱犯が成立しないというものではない。本来、正当税額と確定税額とは一致すべきものであって、税法は、確定税額が正当税額のとおりに確定し、これが確実に履行されることを期待し、その実現を図るため、罰則を設けて、偽りその他不正の行為により税を免れた者に刑罰を科し、そのことにより国の抽象的租税債権(正当税額)の確保を間接的に強制するとともに、納税義務者相互間の税の均衡負担を図ることとしたのである。所得税のような申告納税方式を採用している国税は、その納付すべき税額が納税義務者の申告により確定することを原則とするが、その申告に係る税額等が国税に関する法律の規定に従っていなかったときなどは、税務署長において、その申告税額を更正することができるけれども、その更正は徴収すべき国税を確定するための行政手続にすぎない。このように、逋脱犯は、一次的には国の課税権を保護法益とする犯罪であるから、偽りその他不正の行為により抽象的租税債権を侵害している以上、国において納税義務者の申告した申告税額を更正するなどの徴税行政上国税の確定手続を尽することができなくなったため、結局、徴収すべき税額が申告税額のとおりに確定したとしても、そのことから直ちに、その目的、性質を異にする刑事裁判の場において、罰則を発動することができなくなるものとは到底考えられない。

以上考察したところに従って倹討すると、所得税法二三八条一項前段の「税を免れた」とは、徴税手続で具体的に確定する所得税の納付を免れる趣旨ではなく、逋脱行為当時存在した正当税額(抽象的租税債権)よりも過少な税額を記載した確定申告書を提出し、又は提出期限までに確定申告書を提出しないで納付すべき確定税額(具体的租税債権)をことさらに正当税額よりも過少に確定させ、その差額部分に対する納税義務を免れようとすることをいうものと解すべきである。そうだとすると、課税要件の充足により成立した抽象的租税債権につき、手続上の過誤により、これを具体的租税債権として確定することができなくなったため、国において課税権の行使ができなくなったとしても、偽りその他不正の行為により、その納期限当時存した抽象的租税債権そのものを免れた以上、直ちに所得税法二三八条一項前段の逋脱罪が成立し、その後の行政処分の如何によって、その成否に消長を来たすものではないというべきである。」と判示している。

二 弁護人の主張

1 租税法律主義

憲法第二九条は第一項で「財産権は、これを侵してはならない。」と規定し、個人の財産権を保護している。

他方、第三〇条では「国民は法律の定めるところにより、納税の義務を負う。」と納税の義務を規定している。

国家の経済的基盤を租税に求め、その財政需要を充足するための収入を国民に対する税金という形での拠出に求めているのである。もとより租税は国家の一般的経済需要に応じるものであって、反対給付なしに強制的に徴税するものであって、その限りに於ては憲法第二九条の規定する財産権の侵害になり、それ故に憲法第八四条は「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」と規定し、国家権力(租税徴収権)と国民の権利(財産権)との調和点と調整を試みているのである。租税法律主義と呼ばれるところのものである。

このことは課税要件をはじめ税法上の重要事項、基本的事項については能うかぎり法律で定めることを憲法は規定しているのであって、権力分立の原則を基礎として国家権力の行使に法律の根拠を求めることを介して国民の自由権・財産権を保障しようとしているものである。これは国民の自由権・財産権を、場合によっては生命すらも奪うことのある国家の刑罰権の行使について、罪刑法定主義をはじめとして厳格なる規制をしている憲法の規定と同一の立場にたつものであって、共に我が憲法の規定しているところのものである。

そして、租税法律主義の規定によって国は、国民に対し、その経済生活に法的安定性と予測可能性を与えているのであって、それ故に我が国は戦後の混乱期を乗り越えて、飛躍的な経済発展をし、今や世界に冠たる経済大国に成長することができたのである。

憲法の規定する租税法律主義については、最高裁判所昭和三〇年三月二三日大法廷判決(昭和二八年(オ)第六一六号固定資産税賦課取消請求事件、民集九巻三号三三六頁)は、「おもうに民主政治の下では国民は国会におけるその代表者を通して、自ら国費を負担することが根本原則であって、国民はその総意を反映する租税立法に基いて自主的に納税の義務を負うものとされ(憲法三〇条参照)その反面においてあらたに租税を課し又は現行の租税を変更するには法律又は法律の定める条件によることが必要とされているのである(憲法八四条)。されば日本国憲法の下では、租税を創設し、改廃するのはもとより、納税義務者、課税標準、徴税の手続はすべて前示のとおり法律に基いて定められなければならないと同時に法律に基いて定めるところに委せられていると解すべきである。」と判示している。右判示は、憲法第八四条の規定する租税法律主義の意義について、明確にしたものとされ、租税法律主義が、国民の経済生活に伴う税負担について予測可能性と法的安定性を保障することを目的とする法原則であるとしている。そして、その内容として、遡及立法の禁止、課税要件法定主義、課税要件明確主義等が講学上あげられているがこれらのものが租税法律主義の内容であることは本判例が明確にしているところなのである。このことは判例も憲法の規定からは直ちに国民は租税を負担するものではなく、個々の法律の規定によってはじめて租税を負担し、しかも又法律の定める手続によって税額を確定され、法律の定める手続によってのみ徴収されるということを明確にしているのである。従って、国民は確かに憲法第三〇条によって納税の義務は負担しているが、それは抽象的な義務に過ぎなく、それが法律の規定によって具体的な租税債権(国民からみれば租税債務になる)になったときにはじめて義務として租税を負担し、納税せねばならなくなるのであって、未だ具体的な租税債権にならない間は国民はなんらの義務も又負担をも担っていないことになる。

租税法律主義について、その内容の一つである課税要件明確の要請について、秋田地方裁判所昭和五四年四月二四日判決(昭和五〇年(行ウ)第三号・同五一年(行ウ)第九号・同五二年(行ウ)第六号国民健康保険税賦課処分取消請求事件・行裁例集三〇巻四号八九一頁)は、前記最高裁判所判決の判旨を前提、先例として次のように判示している。「国民健康保険税の課税要件を定めた本件条例二条および六条の規定は一義的明確を欠き、課税総額の認定、税率の碓定について課税庁である被告の裁量を許容するものというべく、納税義務者たる被保険者らにおいて、賦課処分前に右課税総額および税率を確知し得ないため、自己に賦課される課税額を予測することは全く不可能であるうえ、賦課処分後においても、課税総額自体が不明であるため、通知された税率の当否、ひいては不当または違法な課税処分に対し行政上の不服申立、訴の提起をなすべきか否かについて客観的、合理的な判断を加えることを事実上著しく困難ならしめる結果を招来しており、右条例の規定が、行政庁の恣意的な裁量を排し、国民の財産権が不当に侵害されることを防止し、国民の経済生活に法的安定性と予測可能性を付与することを目的とする租税法律主義の原則に反することは明らかである。」

右の秋田地方裁判所の判決は、前記の最高裁判所の判決を更に明確にしたものであって、特に課税要件明確主義の要請から、租税(地方税)の課税要件と賦課(申告)・徴収の手続を定める法律(条例)の規定は、できるだけ一義的で明確でなければならないとされるのである。

憲法で規定・保障し、判例で容認されいている租税法律主義は前述のように納税者である国民の権利保護のために、実体面に関する規定の要請即ち法律の定めによらねば租税を課せられないという保護機能と共に手続面でも法律の定める手続によらなければ租税を課せられ、徴収されることはないという保障機能の二つの役割を荷なっている。この実体面と手続面での厳格な規制をまってはじめて憲法の要請する租税法律主義はその機能を十二分に発揮することができるのであって、この二つのいずれかが欠けても、そこではもはや納税者である国民の権利は保護されることがなく、国家権力による租税の課税行為は有効に為されることはないのである。

手続面での租税法律主義の要請する、厳格な規制は刑事訴訟法における手続規定の重視と同一であって、それは国家権力による国民の自由権・財産権への侵害から国民を守るという共通の基盤に立脚している。刑事訴訟法に於て手続規定の遵守を重要視して、その重大な違反がある場合には実体の審理に立ち入ることを許さないとしているのと同じに税法にあっては手続規定に準拠せねば実体に立ち入ることはできず、手続規定によらずに納税義務の実体に入ることは違法であるとするのが租税法律主義の要請である。

2 申告納税制度と青色申告

所得税法における重要な手続規定に申告納税と青色申告がある。

申告納税は納付すべき税額が納税者の申告により確定することを原則とし、例外的に申告のない場合または申告が不相当と認められる場合に限り、税務官庁の処分によって税額を確定するものであって、青色申告の承認を受けた者については、その者に対する更正は、その帳薄書類を調査し、その調査により所得金額の計算に誤りがあると認められる場合にかぎりすることができ、かつ、更正通知書に更正の理由を附記しなければならないとされている。これが法律上規定された手続であって、この手続以外の方法によっては青色申告者は課税されることはなく、この規定に手続が違反するときは、それは違法な処分となる。これが租税法律主義の原則の要請するところであり、この要請は厳格に保持されなければならない。

被告人は青色申告の承認を受けた者であって、その納税額の確定には右に述べたところの手続によるべきものであって、このことは逋脱犯における逋脱税額の確定にあたっても遵守せられるべきである。単に右判示のように「税法の定める確定申告、更正、決定等の確定手続制度そのものは徴税行政上の手段として設けられたものであって、これが租税債権成立のため必要不可欠のものでないばかりか、確定手続を離れて課税要件を認定することは勿論、不正の手段等により抽象的租税債権を侵害することも十分可能であるから、税の確定手続を経なければ逋脱犯が成立しないというものではない。」と考えるべきではなく、まさに確定手続を無視して納税額を定めることができないことが問題となるのである。従って、原判決が「徴税行政上国税の確定手続を尽すことができなくなったため、結局、徴収すべき税額が申告額のとおりに確定したとしても、そのことから直ちに、その目的、性質を異にする刑事裁判の場において、罰則を発動することができなくなるものとは到底考えられない。」と確定手続を無視し、既に納税すべき税額を全て完納しているにも拘らず、何故に刑罰権の発動を容認しているのか理解に苦しむところである。ここで問題にされるのは「正当に納付すべき税額」であって、それは税法の規定するところにより、実体的に正確に算出された額であると同時に、それ以前に法の規定する手続に則っとり、その手続に違反することなしに計算されて算出された税額であることがなによりも必要なのである。原判決のように税法上の確定手続と刑事手続とを全く別のものと考えるのは誤りであって、むしろ刑罰権の発動の前提として税法の規定を考えなければならず、税法を抜きしては逋脱犯は考えられないのである。

3 「正当に納付すべき税額を免れた事実」について

逋脱犯の構成要件の一つに、正当に納付すべき税額を免れたことがあげられる。

正当に納付すべき税額とは前述した如く実体面と手続面とでの二つの法律の規定に従って算出された税額であることが必要であって、そのいずれかに違反してもそれは正当に納付すべき税額とはいえなくなる。このことは租税法律主義の要請の当然の帰結であって、租税である以上は税法に規定する手続によって、税法の規定する方法によって算出された税額でなければならないのである。以上のような手続、計算によってはじめて国家は国民に対し謀税することができるのであって、又国民もそのような手続によって課税されてこそ納税の義務が具体的に生じるのであり、かかる手続を経て確定された税額を免れてはじめて逋脱罪が成立するのであって、それは税法上の規定を離れては考えられないのである。

4 逋脱犯について

逋脱犯は一次的に国の課税権を保護法益とする犯罪であり、国の課税権は国の財政的需要を賄うために一般国民から租税という形で金銭の納入をはかることが最終目的であって、課税、徴収されるべき租税を免れた時にはじめて成立するものであり、租税の性質として課税されたが徴収はされないなどという税金はなく、従って納税すべき税額を免れることが犯罪の構成要件の一つとなっているのである。

逋脱犯の処罰は刑事裁判の場において、罰則を発動されるものであるが、それは税法によって認められた国の課税権・徴収権を保護するものであるから、税法の規定が優先すると考えるべきである。税法の規定を全く無視して、刑事裁判の場で課税手続とは別に税額を算定するなどの行為は租税法律主義の原理・原則を踏みにじるものであって許されるべきではない。逋脱犯といえども税法の規定の中で構成要件が定められているものであって、もし仮りに原判決判示の如く税法の規定とは別にその充足性を認定することができるとすれば、逋脱犯についての構成要件は無視され、国民の権利は守るすべを失ってしまうのである。もし、かようなことを許せば、国民はその納税の義務について常に税法と刑罰という二つの異る国家の体系によって監視され、税法によってはもはや納税すべき租税がないとされても、他方、刑罰を課せられるとの二律背反の危険に常にさらされていることになる。逋脱犯はあくまでも税法体系の中にあって存在するものであって、税法の規定が第一次的に適用されるべきものなのである。

5 憲法違反の主張

以上述べてきたところを本件被告人の行為についてあてはめてみるに、被告人は青色申告者であってその申告納税を更正するには一定の手続が必要であり、昭和四二年分の所得額及び所得税額を更正するには前述の手続によらねばならないところ、昭和五四年二月二三日付で国税不服審判所長の裁決によって、昭和四五年一〇月一七日付の八王子税務署長の被告人に対する昭和四〇年分以降の青色申告承認の取消処分が取消され、昭和四二年分の所得税に関する更正処分も、昭和五四年二月二七日付で国税不服審判所長によって取消されたことによって、当初の被告人の申告したところの税額に確定した。このことはもはやいかなる手続、計算によるも昭和四二年分所得税額に増減が生じることがないということであって、同年分の被告人の「正当に納付すべく税額」は申告税額であったということになり、そうだとすれば被告人にはその正当に納付すべき税額を免れたという行為も結果発生もなかったことになる。逋脱犯の成立には「偽りその他不正の行為により」「所得税を免れ」(所得税法第二三八条一項)たことが必要であってしかも結果犯であって、結果の発生が不可欠要件であり、所得税を免れた結果と不正の行為によったとの間に因果関係がなければならないのである。仮りに偽りや不正の手段をろおしてもそれによって所得税を免れたという結果を生じさせなけれぱ処罰の対象にはならないのである。そして免れた所得税の算定は租税である以上は税法の規定するところに従って為されなければならないのは当然のことなのである。そして税法の規定するところは実体面と手続面とで租税法律主義の原則に則り行なわれなければならず、その各れかに違反してもそれは違法な行為であって納税者たる国民はなんら拘束されることはなく、それに従わない故をもって処罰されないことも当然のことのはずである。

この点に関し、原判決は「一般に国税は、税法の規定する課税要件を充足することにより、国と納税義務者との間で、法律上当然に、抽象的租税債権(正当税額)として成立し、……国税通則法等国税に関する法律の定める手続により、これを具体的租税債権(確定税額)として確定する必要がある。」・「確定申告、更正、決定等の確定手続制度そのものは徴税行政上の手段として設けられたものであって、これが租税債権成立のための必要不可欠のものでない……税の確定手続を経なければ逋脱犯が成立しないというものではない。」と判示し、「抽象的租税債権(正当税額)」と「具体的租税債権(確定税額)」という二つの相税債権の存在を認め、そのうえで逋脱犯の成立には「抽象的租税債権」の存在のみで足りるとしている。

原判決が示す「抽象的租税債権」とは一体いかなるものなのであろうか。我が国税法体系の中で「抽象的租税債権」という概念を認めることが租税法律主義との関係で容認できるものなのであろうか。憲法第三〇条は納税の義務を国民に課しているが、この規定のみによって国民は具体的な租税債務を負担することにはならない。そもそも、税法上必要なことは、個々の納税者たる国民に対し、具体的な金額によって、租税を課し、徴収することであって、抽象的な命題、義務ではないのである。そうしたことより理論的に「抽象的租税債権」なるものを認めるとしても、それはそれ自体としてはなんらの拘束力ももたず、税法の定める手続によって具体的な税額として確定された場合にはじめて納税者たる国民に意義をもっているのであって、その具体的税額を定める前提として存在意義を有するものと考える。原判決が用いる「抽象的租税債権」は理論的、一般的に如何なる場合にどの程度の税額を納付せねばならないかの指針を示すものであって、個々の国民にとっては、それを前提にして、具体的に自分の場合にはいくらの税額を負担するのかを税法の規定する手続によって確定されることが租税法定主義の原則の要請であって、納税者たる国民にとってはまさにそうしたことが重要なのである。原判決のいう確定手続制度が徴税行政上の手段としてのみ設けられたとの考え方はかかる意味から国家権力から国民の財産権を保護するために定められた憲法第八四条の租税法律主義に違反し、憲法の解釈を誤ったものとされねばならない。

又、原判決の如く「抽象的租税債権」は税法の規定する手続によらずに、裁判所によってその訴訟手続の過程で徴収することを目的とせずに確認し、そのうえで刑罰を課すことができるとするならば、それは税法の体系と全く異る手続によって租税債権の計算・算出をすることになり、これも又憲法第八四条に違反することになる。そして、その刑事手続の場で確認された「抽象的租税債権」に基ずいて逋脱犯として処罰されるとするのであるならば租税法律主義に反する手続によって租税債権を確定され、処罰されることになるのであるから法定手続の保障を定めた憲法第三一条にも違反することになる。

原判決は「抽象的租税債権(正当税額)」が絶対的存在として厳然たる事実としていかなる場合にも超越したものとしてあるかのように表現しており、「具体的租税債権(確定税額)」がそれに合致させられるべきであるとしているが、税法上はまさに「抽象的」に納税者たる国民が負担している「納税の義務」を具体的な経済活動を通じて経済的利益を取得した時に「具体的」な税額として算出し、納付するようにすることが重要なことであって、徴税を目的としない租税は考えられず、衝突する国家権力(課税権)と国民の権利(財産権)とを調和するために租税法律主義を憲法は採用したのであって、具体的租税権として確定手続を経てはじめて国民に具体的な納税義務を生じさせるのであって、その手続なしには「抽象的租税債権」は考えられないのである。言葉を換えていえば、仮りに「抽象的租税債権」なるものが存在するとしても、それを具体的な税額に確定するのが税法の定める手続であって、その確定手続なしにはなにが正当税法であるかを定めることはできず、そもそも、租税にあっては「正当税額」と「確定税額」なる二つの異なる税額は存在せず、税法の規定するところによって納付せねばならない税額のみが唯一意味をもつものであって、その意味では原判決のいう「具体的租税債権(確定税額)」がそれにあたるものと考える。

抽象的に正当税額なるものが存在し、しかもその額は税法の定める手続によらずして裁判所によっても確認され、それに反する場合には刑罰を受けるなどという不安定な状態を現出することは決して憲法の容認するところではないと考える。

原判決は被告人の本件行為について、.青色申告承認取消処分の取消及び更正処分の取消によって、被告人の納付すべき税額が申告税額に確定したことによって、税額を免れたことにはならず結果が発生しなかったのであるから、無罪とすべきところを、抽象的租税債権そのものを免れた以上は逋脱犯が成立したとしているが、この原判決の基礎にある抽象的租税債権なるものが意味のないものであることは縷縷前述したが、仮りにそれが認められ、起訴当時は逋脱の事実があったとしても、裁判の途中で原判決認定の通り、被告人の納付すべき税額が申告税額に確定し、もはや納付すべき税額が存在しなくなった時点で構成要件該当性が欠けたのであり、無罪又は免訴の言渡をすべきであったのに有罪判決をしたのは刑事訴訟法第三三六条に違反し、逋脱の事実が遡って存在しなかったのと同じ法的評価を受けられることになるので憲法第三九条にも違反することになる。

司法と行政は三権分立の原則にあっては異なる立場にあるのであって、その機能は国民の権利を擁護することにあるのであるが、本件被告人の場合にあってはそれが逆に作用し、行政(課税権)については責任は全うし、これ以上の責任追求は免除されたのに、司法(刑罰権)によって行政上の責任免除を受けた行為について、行政上の行為の故をもって処罰されるということになっているのである。強い力をもつ国家権力は国民に対しその権力の行使にあって、時として優しさを示すべきではないだろうか。国税当局によって既に納付すべき税額がないとされた被告人が何故に税額を納付しなかったとの理由で処罰されねばならないのであろうか。仮りに税務当局の処置が手続上の誤りに基ずくものであったとしても、それが確定した以上は行政の処置を国の処置として優先して、刑罰権の行使、司法の介入は差し控えるべきではないだろうか。

以上、原判決には憲法の違反、憲法の解釈に誤りがあるので右上告します。

第二点 原判決には第一及び第二以下て述べるような判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認があってこれを破棄するのでなければ著しく正義に反するといわなければならない。

すなわち、

第一 原判決は被告人の不動産業の実態を小規模不動産業者である「街の不動産ブローカー」と認定した事実誤認と、この認定に基づく第二以下に述べるような事実の誤認をしていることが明らかである。

一 一般に「不動産業」といっても三井不動産や小田急電鉄のような大企業の業者(以下、大手業者という)から小規模のいわゆる「街の不動産ブローカー」といわゆる業者(以下、ブローカーという)まで多種多様であり、大規模の用地買収には殆んど大手業者又は公団など(以下大手業者等という)が最終の買収主体となるのであるが、大手業者等が土地所有者(以下地主という)との直接取引で大規模の用地買収をすることが困難であることもあって、殆んどの場合大手業者も地主も中間で話を取り纏める業者(以下、中間業者という)に用地買収のうちの大半の仕事を一任するものである。この事実はいわゆる公知の事実であるが、中間業者は右の事情から、大手業者と地主の双方から信頼されている者であることの外に業者として財力、手腕、力量及び事業規模を有するものでなければならないこともまた公知の事実である。

二 被告人は各証拠から右にいう双方から極めて信頼の高い中間業者であることが明白である。

この点について原審は

『関係各証拠によると、手広く不動産業を営み多額の事業所得を上げていた被告人は土地の買収が難航したような場合、地主らに裏金を支払うて歓心を買う必要があった。』

ことを認定しているに過ぎない(判決書一五丁)。弁護人は右認定の後段部分は表現上問題があることを指摘して、更に所論を進めると、次の事実が証拠上明らかである。

(1) 被告人は「昭和三四年前後頃から大規模な土地買収を事業の中心におくようになった。」(昭和五三年一〇月一七日速記録一九枚目)がもともと相模市内の大地主の出で(同一六枚目一行二行)あったから戦後のいわゆる「俄か成金」ではなく、もとからの資産家であった。

(2) 被告人は前記のとおり昭和三四年前後頃から大規模な土地買収を事業の中心において、神奈中のバス事業に必要とする用地買収(同三四枚目)、大磯の湘南平の用地買収(同三五枚目)、海老名地区の土地買収(同四〇枚目以下)等多くの用地買収を行ない特に本件で刑事責任を問われている最中の昭和五一年四月には、本件用地買収の南側に隣接する約二万坪について総額六〇億円の多額の用地買収を住宅公団から委任されてその買収に着手しているのであるが、この場合の地主の大半が本件地主と同一であることもあって地主側からも強い推薦があった。このことからも被告人がいかに信頼されているかが明白である。

(3) また被告人は海老名地区の買収について小田急電鉄から金一億三〇〇〇万円を受領していることも証拠上明白であるが、これに関する文書の記載にかかわらず、その実態は被告人が造成協力金として受け取ったものである。もし仮りに右金銭授受が文書記載のように地主に支払うべきハンコ料であれば金銭授受の事実を知っている地主から中村に対し苦情が殺到するところ、今日に至るまで地主から何らの苦情が出ていないのである。

以上のように被告人の不動産業の実態は、大手業者ではないが、街のブローカーでもなく、大規模の用地買収に当って大手業者からも地主からも絶大な信頼を得て両者の中間にあって用地買収を成功させるために欠くことの出来ない中間業者であることが明らかである。

三 しかるに原審は、被告人の不動産業の実態を「街のブローカー」的小規模業者として認定していることは、判文上も明らかであるが、右認定が著しい事実誤認であるのみならず、原審は右誤認を基にして以下に述べるような重大な事実誤認をしているのである。

第二 原審の判示とこれに対する反論

一 東和機械土木株式会社(以下「東和機械」という)について。

(1) 原審は『村上寿男の収税官吏に対する質問てん末書(昭和44・6・12付、同年9・16付)、被告人の収税官吏に対する質問てん末書(同年1・29付、同年5・16付、同年10・29付)及び検察官に対する供述調書(45・10・7付)並びに原審における供述は、他の関係各証拠に照らし、にわかに措信することができない。』と判示し(判決書六丁目裏)、次のとおり認定している。

すなわち(同六丁目裏~七丁目裏)

『一、不動産業を営んでいる被告人は、昭和四二年ころ、同じ不動産業を営んでいた東和機械の代表取締役村上寿男(以下「村上」という。)に対し、神奈川県茅ヶ崎地区の用地買収を依頼したところ、村上は、同年九月ころから翌四三年末ころまでの間、右用地を買収すべく、その所有者らと種々交渉したが、結局、その間に用地の買収に成功したものは一件もなかった。

以上認定した事実によれば、被告人が東和機械に対し、茅ヶ崎地区の用地買収に伴う仲介手数料を支払っていないことは明らかである』

(2) 原審は、被告人の不動産業の実態を既に述べたようにいわゆるブローカー的小規模な実態と認定しているため被告人の公判廷供述(昭和五三年一〇月三一日速記録四七枚目以下)で東和機械に対し茅ヶ崎地区の用地買収に伴う仲介手数料の支払をした経緯を詳細に述べているのでこれを信用しないで単に『他の関係証拠に照らし措信できない』として、右「仲介手数料を支払っていない」と判示しているのである。

(3) しかしながら、被告人の不動産の実態を前記第一で述べたように極めて信頼度の高い人物で財力手腕ともに優れたた中間業者であるという認定に立って、右(1)の各証拠をみると、原審のように『他の関係証拠に照らし、にわかに措信することができない』という理由だけでは、これら証拠を「これに反する証拠」として排斥するには余りにも理論的根拠薄弱であるといわざるをえない、むしろ、右排斥された証拠から『仲介手数料の支払いあった』ことを認定すべきであったといわなければならない。

そうだとすると原審の前掲判示は、判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認であることが極めて明白である。

(4) また、被告人の不動産業の実態の認識が弁護人の主張のとおりであるとすれば、地主の承諾を得るためには多額の費用と日時を要することも認識しえたのである。また村上はこの年度、不動産所得なしと申告しているから村上が地主の承諾書を得るために要した資金源が被告人から交付された金員以外にありえないことが認めうる筈のところ、原審はこの点についても事実の誤認をしていることは証拠上明白である。

二 旅館春光苑発行に係る領収証の金額の訂正について。

(1) 原審は『これに反する原審における被告人の供述は、他の関係各証拠に対比すると、にわかに措信することができない。』と判示し(同九丁目裏)、これに続いて

『被告人は、昭和四二年一月六日ころから同年一二月二三日ころまでの間、同旅館で飲食し、その都度同旅館発行に係る公給領収証を受け取っていたが、他の店で飲食代金を支払った場合には、必ずしも領収証を徴ていないことがあったので、昭和四二年分に係る所得計算をするに際し、右代金を含めた交際費を架空に計上しようと考え、無断で同旅館発行に係る公給領収証記載の金額の冒頭あるいは末尾に「1」を書き加えて、あたかも訂正された金額が実際に支払われたかの如く改ざんし、……

以上認定したところによれば、被告人が旅館春光苑発行の公給領収証を改ざんした事実は優に認められる……』

と判示している(同一〇丁目表まで)。

なお弁護人の主張について

『この点につき、被告人が悪意をもって右領収証の金額を訂正したものではないから改ざんに当らない旨主張するけれども、被告人は、交際費の架空計上を意図して、その権限がないにもかかわらず、前記領収証の金額を訂正したものであって、これが悪意によるものであることは明白であり、したがって、被告人の右所為が改ざんに当ると認定した原判決には何ら事実の誤認はない。』

と判示している。

(2) しかしながら既に東和機械のところで論じたと同じく、原審は被告人の不動産業の実態の認識を誤って、ここでも『これに反する原審における被告人の供述は、他の関係各証拠に対比すると、にわかに措信することができない』とするものであるが、被告人の供述を右のように排斥することは余りにも理論的根拠薄弱であること前と同様である。

よって、春光苑に関する右判示も判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認であるといわなければならない。

(3) また、前掲判示によれば『この点につき、被告人が悪意をもって右領収証の金額を訂正したものではないから改ざんに当らない旨主張するけれども』として弁護人の主張を述べているが、弁護人は『被告人は領収証の金額を訂正したことがない』と主張し、また「被告人が領収証の金額を訂正したことを認めうる証拠もない」旨を主張しているものであって、この点において原審は弁護人の主張と異った主張として把えた違法があることも明らかである。

三 八王子片倉地区及び神奈川県海老名地区の用地買収について

(1) 原審は右の点について

『しかしながら、原判決は、片倉地区の用地買収につき、売買形式によるものである旨認定した証拠として、被告人の原審における供述、原審証人中込一善、同古屋勝成、同岩瀬克巳、同鈴木輝雄の各供述、押収してある領収証一通を挙示しており、他方、海老名地区の用地買収につき、仲介形式によるものである旨認定した証拠として、被告人の検察官に対する昭和四六年二月一九日付供述調書、原審証人井上義彦、同古屋勝成、同中山庄司の各供述を挙示していることが判文上明らかである。このように、原判決は、別個の証拠に基づき、一方を売買形式とし、他方を仲介形式によるものと認定したのであるから、その結論が異なっても当然であって、右のように認定したことをもって、理由相互間にくいちがいがあるということはできない。』

と判示している。

また、いわゆる協力金については

『関係各証拠によると、被告人は、小田急電鉄から両地区の用地買収を依頼されて、これに関与するようになったこと、そして、海老名地区の用地につき、地主から直接買い受けたものも若干あること、しかし、海老名地区の用地で所論の主張する用地買収協力金四〇〇〇円に関係する用地については、被告人は単に小田急電鉄と地主らとの売買契約を仲介したものにすぎないことが認められ、これに反する被告人の検察官に対する昭和四六年二月一七日付、同月一九日付供述調書の供述記載部分は、いずれも他の関係各証拠に対比し、措信することができない。

右認定事実によれば、海老名地区の用地買収については、被告人は仲介人であったと認めるのが相当である。』

と判示している。

(2) ところで右に掲げた判示のうち『海老名地区の用地で所論の主張する用地買収協力金四〇〇〇万円に関係する用地については、被告人は単に小田急電鉄と地主らとの売買契約を仲介したものにすぎないことが認められ』とする部分、並びに『右認定事実によれば、海老名地区の用地買収については、被告人は仲介人であったと認めるのが相当である。』とする部分は、いずれも、既に論じたように『被告人の不動産業の実態』をいわゆる街の単なるブローカーとしての小規模業者であると認定していることに基因したものであることが文言上からも明白でこの点で前記第一の二に掲げた判示と矛盾しているのであるが被告人の不動産業の実態が、既に述べたように、いわゆる『信頼でき、かつ財力、手腕とに優れた中間業者』であって、大規模の用地買収に当っては、大手業者等と地主との中間にあって用地買収を成功に導くためにその存在が必要であることを認めえた筈である。従ってまた、『被告人の検察官に対する昭和四六年二月一七日付、同月一九日付供述調書の供述記載部分』も信用できた筈であり、そうであれば、自づと、前掲判示と違った認定となったのである。

(3) しかるに原審は、既に述べたように被告人の不動産業の実態を極少の街の不動産ブローカーと同一視している誤った認定に基づいて、前掲のとおり判示したものであるから、前掲判示は、判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認であるといわなければならない。

(4) 尚付言すると、大規模の用地買収ということは最低でも一万坪以上の買収をいうのであるが、同一地区であっても一万坪以上となると第一次の買収で完了することは稀で通常第一次から第五次に及ぶ場合もあるのである。このように長期に亘ると最初に契約した地主と後になって契約した地主との間に価格その他の条件で不平等になることも常態であるため、中間業者はこの不平等を是正する方策として、いわゆる「協力金」なるものの支払を地主に約するのである。

また、買収が長期になるような場合中間業者は目的土地の半分以上を自ら買い取っておくものである。

以上のような実態から、中間業者は多額の資金を要するのみならず、長期に亘り地主の信頼を維持できるのでなければ買収は成功しないのである。

被告人は資金と信頼の面でも、まさに立派な中間業者であったことは既に述べたように証拠上からも明白である。

特に海老名地区は八万坪からの広大な土地で二〇〇名を超す地主であったことから第一次から第五次に亘るもので期間も昭和三八年から同四二年の長期の買収となったのである。かくして海老名地区の開発委員会と被告人との間にとりかわされたのが、本件協力金であった。このことは証拠上も明白である。

四 普通預金について『同月三一日現在、合計一五三三万二八六五円の残高があること、中村直利、中村薫子、中村恵及び中村巧名義の株式は昭和四二年七月二六日から同年九月三〇日までの間に取得されたものである』とする

認定について。

(1) 原判決書一六丁目表の項には、右のとおり判示されているが、この判示も以下に述べる理由で判決に影響を及ぼす重大な事実の誤認があるといわなければならない。

判決書七丁目の二の項では

『そこで被告人は昭和四二年一一月三〇日、村上とともに取引銀行である三菱銀行町田支店に赴き……以前から同支店に開設してあった被告人名義の普通預金口座から現金二二〇〇万円を払い出し』と判示している。また同じく一五丁目裏五行目から一六丁目表九行目にかけて、

『小川和子名義の定期預金一一〇〇万円(二口)は昭和四二年六月八日に設定されて翌四三年九月二七日に解約されていること、被告人名義の定期預金中、四〇七万二六〇〇円については昭和四二年五月二九日に設定されて翌四三年五月三〇日に解約されており、五〇万六一三七円については昭和四二年一二月二六日に設定されて翌四三年一〇月一六日に解約されていること、大川弘名義の普通預金は昭和四二年三月一日に設定されて翌四三年三月一三日に解約されているが、その間の昭和四二年三月一日に五〇〇万円、同年七月二八日に一三〇万円、同年一〇月六日に三〇〇万円、同月七日に二〇〇万円、同月一一日に一〇〇万円、同年一二月三〇日に一五〇〇万円それぞれ預け入れられたので、同月三一日現在、合計一五三三万二八六五円の残高があること、中村直利、中村薫子、中村恵及び中村巧名義の株式は、昭和四二年七月二六日から同年九月三〇日までの間に取得されたものであることがそれぞれ認められる。』

と判示している。

(2) この二つの判示を比較してみても次のことが明白である。

右一五丁目の判示のうち昭和四二年三月一日より前の預金については判示されていないが、少くとも被告人名義の昭和四二年三月一日から同年一〇月一一日迄の間に預け入れられた普通預金の合計は金一二三〇万円である。この間に設定された定期預金の合計は右判示によると一五〇七万二六〇〇円であるがこの間にはこの預金の解約がないことも判示自体から明白であるから前記七丁目の判示にある昭和四二年一一月三〇日二二〇〇万円の払い出しが出来るためには、昭和四二年二月二八日以前に少くとも金一〇〇〇万円の預金の存在が必要であるといわなければならない。

(3) しかるに原審は、前記一五丁以下の判示を根拠にして次のように判示しているものであるが

『以上のような被告人の事業内容、高収入及び脱税の意図、各資産の設定、取得時期並びにその金額からすると、所論のいう各資産の原資は期中に取得したものと推認されるので、それが期首に存したものとは認め難いところである。』

右判示の前提事実において前記(1)のような判示をしている以上、右判示にいう推認自体矛盾があるといわざるをえない。以上の理由により、右判示部分は少くとも著しい事実誤認であることが明白である。

○ 上告趣意書

被告人 中村忠

右の者に対する所得税法違反被告事件についての上告の趣意は左記のとおりである。

昭和五八年四月一三日

右弁護人 大山皓史

最高裁判所第二小法廷 御中

第一 原判決は、所得税法二三八条一項の解釈適用について、憲法第八四条、同第三一条に違反するので、その破棄を求める。

一 原判決は、「一般に国税は、税法の規定する課税要件を充足することにより、国と税義務者との間で、法律上当然に、抽象的租税債権(正当税額)として成立し、これが賦課、徴収の対象となるのであるが、これを納付、徴収するためには、右租税債権の成立と同時に特別の手続を要しないで納付すべき税額が確保する国税を除いては、国税通則法等国税に関する法律の定める手続により、これを具体的租税債権(確定税額)として確定する必要がある(国税通則一五条)。」(3丁裏三乃至一〇行目)としながらも、これに引き続いて「しかし、税法の定める確定申告、更生、決定等の確定手続制度そのものは徴税行政上の手段として設けられたものであって、これが租税債権成立のため必要不可欠のものでないばかりか、確定手続を離れて課税要件を認定することは勿論、不正の手段等により抽象的租税債権を侵害することも十分可能であるから、税の確定手続を経なければ、逋脱犯が成立しないというものではない。」(3丁裏一〇行目乃至4丁表五行目)としたうえで、「課税要件の充足により成立した抽象的租税債権につき、手続上の過誤により、これを具体的租税債権として確定することができなくなったため、国において課税権の行使ができなくなったとしても、偽りその他の不正の行為により、その納期限当時存した抽象的租税債権そのものを免れた以上、直ちに所得税法二三八条一項前段の逋脱罪が成立」(5丁裏一乃至六行目)とするというものである。

二 原判決の右の判示は、要するに、所得税法二三八条一項前段の逋脱罪の保護法益を「国の課税権」(4丁裏七行目)であるとして、偽りその他不正の行為により「抽象的租税債権を侵害している以上」(4丁裏八行目)、「確定手続を離れて」(4丁表二行目)、「刑事裁判の場において、罰刑を発動することができ」る(5丁表一、二行目)とするものである。しかしながら、原判決にいう逋脱罪における侵害の対象である「抽象的租税債権」とは、税法の規定する課税要件を充足したときに観念的に成立する抽象的な納税義務(国税通則法一五条)を国の側から見たものであり、人の認識の対象となる観念的存在にすぎない。

即ち、国税通則法(以下通則法という)一五条二項は、所得税の納税義務は、暦年の終了の時に発生、成立するものと規定している。

つまり暦年の終了という事実と法定の課税要件の充足とともに自動的に納税義務は発生、成立することとされている。このような意味での納税義務の発生、成立は抽象的なものであり、その納税義務は、その内容の具体的な確定(税額の確定)手続がなされて、初めて「納付義務」つまり具体的な租税債務として認識されることが可能となる。原判決のいう「抽象的租税債権」つまりいまだ具体的納税義務として認識し得ない。いわば「神のみが知る租税債権」(額)は、観念的には存在し、「成立している」のではあるが、偽り不正の行為によってこれを「侵害した」とか「免れた」をいうためには、「具体的納付義務」ないしは「具体的納税義務」、換言すれば、租税債権の確定手続を必要とする(源泉徴収による国税・印紙納付による国税等を除く通則法一五条三項)のであって、抽象的、観念的租税債権に対する侵害は、抽象的観念的侵害に留まるものであることもまた当然である。然るに、原判決は「確定手続を離れて課税要件を認定すること」(4丁裏二、三行目)により認識された抽象的租税債権が侵害されれば、直ちに所得税法二三八条一項前段の逋脱罪が成立するというものである。

即ち、本件について言えば、課税庁側の事情で国が第二次的確定権ともいうべき更生権を行使せず納税者たる被告人の申告どおりに租税債権が確定しても、その確定した具体的租税債権額が、確定手続と別途に国が認識した抽象的租税債権額より過少であれば、逋脱罪が成立するというものである。

三 しかしながら、右のような所得税法二三八条一項前段についての原判決の解釈並びにその解釈を前提とした法適用は、以下に述べるとおり憲法八四条に違反するものと言わざるを得ない。

1 憲法八四条は、いわゆる「租税法律主義」を宣明しているところ、「租税法律主義」は、あらためて言うまでもなく、国民の自由と財産を保護し、国民の経済生活に法的安定性と予測可能性を与えるため、公権力の行使は法律の根拠に基づかなければならないとする「近代法治主義」の、租税の賦課・徴収の面における現われである(金子宏「租税法」弘文堂六八頁乃至七〇頁)。

しかして、「租税法律主義」の内容としては、「課税要件法定主義」「手続的保障原則」等があげられる。「課税要件法定主義」は、刑法なおける罪刑法定主義になぞらえて作られた原則で、課税の作用は国民の財産権への侵害であるから、課税要件のすべてと租税の賦課・徴収の手続は法律によって規定されなければならないことを意味し(最(大)判昭和三〇年三月二三日民集九巻三号三三六頁)、「手続的保障原則」は、租税の賦課・徴収は公権力の行使であるから、それは適正な手続で行われなければならず、またそれに対する争訟は公正な手続で解決されなければならない、というものである(金子・前掲書七一頁、七六頁)。

2 租税法律主義の本旨は、右のとおり国民の自由と財産を保障するため、国の課税の作用に係る国民の財産権への侵害に対する実体的、手続的な規制ないしは限界を画するものであるから、納税者たる国民は、憲法の租税法律主義の大原則のもとに、税法所定の手続を経て確定された国に対する具体的な納税義務の範囲を超えては、国の権力作用たる税の賦課、徴収権が自己に及ばないことを保障されるのみならず、右範囲を超えて税の賦課、徴収権の「確保を間接的に強制する」(4丁表一〇行目)ため刑罰権が行使されることもないと言わなければならない。

3 原判決は、被告人に対し、税法所定の手続を経て確定された国に対する具体的な納税義務を超えて、国がいかなる意味においても履行を請求しえない抽象的租税債権の確保を図るため刑罰権の行使を認めようとするものであるから、右は所得税法二三八条一項の解釈適用について憲法八四条に違反するものであることが明らかである。

四 本件の場合、国の具体的租税債権は何ら侵害されていないのである。このように国の具体的租税債権が何ら侵害されていないにもかかわらず、たんに観念的に租税債権の確定手続とは別途に思惟された抽象的租税債権が侵害されたとして国権の作用による最も峻厳な制裁である刑罰を用いるのは、刑法の謙抑性を持ちだすまでもなく明らかに不必要であり、著しく合理性を欠く。

また、公権力の作用たる刑罰権ならびに課税権の行使しうる期間という観点からみると、逋脱罪の公訴事項は三年(刑事訴訟法二五〇条五号)であるところ、逋脱行為があったものとして国が更正権を行使しうる期間は五年(本件当時)であるから、国は逋脱罪の公訴時効が完成し訴追が不可能となった後でも、なお税の賦課・徴収を図ることができるという意味で、租税刑事法制の上で刑罰権と課税権との間にはその質的差異を超えてなお前者よりも後者の方に、より国権の作用としての重きを置いているものと見ることができる。

原判決によれば、公訴時効期間より長い更正処分の期間制限(国税通則法七〇条、七一条)内に更正処分がなされず、適法に被告人の申告どおりに具体的租税債権が確定され、かつその確定税額が納付されて国の課税権に対する具体的侵害が、何ら存在しないにもかかわらず、なお公訴を維持し刑罰権を行使しうるとするものであって、原判決の右判断は、租税刑事法制の全体としの整合性を著しく欠くものと言わざるをえない。憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又は、その他の刑罰を科せられない。」として法定手続を保障しているところ、同条にいう「法律の定める手続」については、手続要件、実体要件ともに法律で定められ、かつ内容上も適正でなければならない(小林直樹・「憲法講義上」東大出版会二五八頁)と解するのが妥当であり、この立場からすると、原判決の所得税法二三八条一項前段の逋脱罪の解釈は、抽象的租税債権を侵害の対象(ないしは保護法益)とする限りに於て、憲法三一条にも違反するものであることが明らかである。

第二 原判決は、最高裁判所第二小法廷判決昭和四九年九月二〇日刑集二八巻六号二九一頁と相反する判断をしているので、その破棄を求める。

一 最高裁判所第二小法廷は、頭書判決において「青色申告の承認を受けた法人の代表者が、ある事業年度において法人税を免れるため逋脱行為をし、その後その事業年度にさかのぼってその承認を取り消された場合におけるその事業年度の逋脱税額は、青色申告の承認がないものとして計算した法人税額から申告にかかる法人税額を差し引いた額である」と判示したが、右最高裁判所判決は、逋脱税額について、青色申告承認取消があった場合に、青色申告書以外の申告書としての逋脱税額を算出すべきものとしており、青色申告承認の取消があることを当然の前提としている手で、逋脱税額算定の基礎となる正規税額は、「抽象的租税債権」額ではなく、税法所定の厳格な手続的保障のもとに確定された「具体的租税債権」額であるとしていることが明らかである。

二 然るに原判決は、逋脱税額算定の基礎となる正規税額(原判決にいう正当税額)について、税法所定の厳格な手続的保障のもとに確定された具体的租税債権額ではなく、「確定手続を離れて」(4丁二行目)抽象的に存在する抽象的租税債権額であるとするものであるから、右最高裁判所の判決と相反する判断をしていることが明らかであり、この点からも、原判決は破棄を免れないものと言わざるをえない。

第三 以上のとおり、所得税法二三八条一項前段の逋脱罪の侵害の対象は、税法所定の確定手続を経て確定される具体的な租税債権であり、同条項にいう「税を免れた」とは、この具体的な確定税額を免れることであると解すべきであるところ、被告人は、訴訟記録並びに原裁判所及び第一審裁判所において取り調べた関係各証拠から明らかなとおり、被告人の昭和四二年の所得税に係る確定税額を「免れた」ことはないから、所得税法二三八条一項前段の規定により処罰されるいわれはない。

よって、原判決は破棄されるべきであるとともに、被告人に対し御庁により無罪判決が下されるよう上告する次第である。

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